町の歴史と歩み

更新日:2020年04月01日

飯島町は江戸時代幕府の陣屋が置かれていた歴史の街です。
飯島陣屋は江戸時代初め、延宝五年(1677)に設置されたといわれています。
伊那郡を中心とする幕府直轄領(天領)を支配する拠点として置かれたもので、それ以来幕末にいたるまで続き、明治維新以後は伊那県庁として使われました。
伊那県は、明治4年11月に廃止されましたが、飯島町は江戸時代から明治初期に至る200年近い間、信濃の国や伊那県の政治上重要な役割を果たしていました。

平屋づくりの古い日本家屋風の飯島陣屋と、白い花が咲いた梅の木の写真

復元された飯島陣屋

沿革
原始・古代 各地に集落ができる。
鎌倉時代 飯島氏の支配のもとに飯島郷の開発が進む。
江戸時代

幕府の直轄地を支配した飯島陣屋が置かれる。

この地方の政治・経済・文化の中心地として栄える。

明治8年1月23日

飯島村、石曽根村、田切村、本郷村の4か村が合併して飯島村となる。

一方、七久保耕地は同日、小平・前沢・田島・上片桐・片桐の5耕地とともに1村扱いを廃止し、合併して片桐村となる。

明治14年8月17日 片桐村は、上片桐村・片桐村・七久保村の3か村に分離し七久保村が発足する。
明治15年4月5日 飯島村から田切及び本郷が分離し、飯島村・田切村・本郷村の3か村となる。
明治22年4月1日 市町村制の施行に際し、飯島村・田切村・本郷村の3か村が合併して「飯島村」となる。「七久保村」はそのまま新村として発足する。
昭和24年4月1日 飯島村は南向村の一部日曽利を境界変更により編入する。
昭和28年2月1日 七久保村は字三林、字袴ヶ腰、字烏帽子ヶ丘の一部面積14.5k平方メートルを境界変更により隣村上片桐村へ編入する。
昭和29年1月1日 飯島村は町制を施行し「飯島町」となる。
昭和31年9月30日 飯島町と七久保村が合併し、新「飯島町」となり現在に至る。
昭和61年3月1日 県営圃場整備事業の実施にともない中川村との境界を一部変更
(等積交換 4,948,555平方メートル=約5キ平方キロメートル)しました。
平成2年1月1日 建設省国土地理院の測定結果から町の総面積が87.26平方メートルに変更されました。
平成10年10月1日 建設省国土地理院の測定結果から日曽利と中川村の地図上の境界が是正され町の総面積を86.94平方キロメートルに更正しました。

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