町長コラム(広報紙2026年1月号掲載分)

広報いいじま未来飛行に掲載している、唐澤隆町長コラム「つなぐ」をご紹介します。
いいちゃんと町長の対談形式でのコラムです。
1月号のコラムのテーマは「町の歴史 - 其ノ壱」のおはなし

今回は、合併後の昭和31年(1956年)から昭和41年(1966年)の10年間をお話しします。

はい!お願いします!

当時(昭和31年)の町長は、古川真澄さんで、町の人口は飯島と七久保合わせて、1万1614人でした。
古川町長は「いつも明るく伸びゆく豊かな町に」というスローガンでまちづくりを進めていたそうです。
合併後、まず最初に取りかかった事業は、小中学校の建設でした。
飯島町は、昭和27年(1952年)3月に小中学校が火事で焼けてしまい、その建設が急務でした。
その後、公民館活動の拠点として、七久保公民館や中央公民館を建設していきました。
また、昭和32年(1957年)には、飯島町歌の制定、農業関係では「新農村建設実施地域」に指定されるなど現代につながる事業に数多く取組んできました。
昭和36年(1961年)には、未曾有の大災害、梅雨前線豪雨(36災害)が発生し、3日間雨量が406ミリ、被害総額2億9千万円。当時の町の予算が4千万円ということでしたので、その甚大さは分かるかと思います。
後半の5年間は、この復興や、七久保診療所や母子保健センターなどをつくるなど保健事業に主に取り組んでいたようです。
これらの建設にかかる費用等は、当時町で所有していた町有林を半分以上国に売却して得ていたようです。
合併後の10年間で特色のあるできごとをご紹介しましたが、ぜひ70周年を機会に町史に興味を持っていただけたらと思います。
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更新日:2026年01月20日